言葉にならない言葉

心の底を言語化したい

無意識の症状

先生の所へ通い始めて一年以上経つが、ずっと解決しないもやもやがある。それは、私はずっと演技しているのではないか?というもやもやだ。 

 

メンクリに通い出した理由は原因不明の体調不良で不登校になってしまったからだ。両親の離婚が大きなストレスとなっており、それが身体症状が出ている。と言われた(ような気がする)。 

 

でも本当は違ったのではないかと思い始めている。 

 

私が入学した高校は超が付くほどの体育会系だった。集会などがあれば移動は走ってだったし、必ずと言って良いほど教師の怒号が飛んでくるし、赤点を取ったら個人呼び出しで30分怒鳴り続けると脅される。教師によるパワハラと言えると思う。 

 

私はそんな高校生活に嫌気がさしていた…というレベルではなかった。教師の恐怖に戦き登校拒否した。 

 

正直な心で考えてみると最初の順番がバラバラだったのではないか? 

 

メンクリに通い出したのは、原因不明の体調不良が理由ではなく、過酷な高校生活から逃げ出したいがための作戦だったのではないか。(そのころの私にとっては)幸運なことに家庭のいざこざがあったばかりだった。

それを言い訳にすればいいと思ったのではないか。父の不倫という事実に耐えきれず大きなストレスを感じそのストレスが身体化(この表現が正しいのかわからない)してしまったということにすれば恐ろしい高校にもいかなくて済む。

学校をサボりたい私を正当化しようとしたのではないか? 

 

こんなことを無意識のうちにやってしまっていたのではないか?それとも意識的に? 

 

急にこんなことを考え出したのは、実は精神分析について調べている途中で「ミュンヒハウゼン」について知ったからだ。とりあえずWikipediaで概要を読んだが私の事を言っているようにしか見えなかった。 

 

やっぱりそう思うのは意識的に作戦を立てて高校をサボりたかったからなのか。 

 

私は最初から今までずっと自分を甘やかすために演技していたのだ。そうに違いない。 

 

その証拠に今も髪を真っピンクに染め、「ゲスの極み乙女。」の素晴らしい演奏を聴きながら文章を打ち込んでいる。こんなこと、同年齢の子はできない。みんなは私と違って週に6回も高校に通い早朝から勉強し、夜まで部活動に励んでいる。 

 

私にはできない。頑張ることが出来ない。病気だから

 

そういって今まで何回、甘えてきただろうか。 

 

よく考えると私は病気でも何でもないことに気が付いた。なぜなら私は至って元気だからだ。 

 

私より苦しい思いをしてる人はいっぱいいる。本当のうつ病患者は寝たきりで動けないそうだ。 

 

それに比べて私は、病人とは思えない髪色やファッションで都会で買い物をしたり、ランチや高いパンケーキを食べたり、好きなことをして楽しんでいる。夜は確かに気分が落ち込むし自傷もする。

でもそれも私の演技なのではないか。特に自傷なんかは構ってほしいからするのではないか。私の意識では構ってほしいために自傷をしているのではないのだが、無意識ではやっぱり…。 

 

身体症状も精神症状もある。だけどそれも無意識が作りだしたのではないか。

本当は何にもなかっかのに、楽をしたいがために病気の症状を騙って病気になったのではないか。無意識のうちに。 

心が空っぽ

こんばんは。

 

突然ですが、心が空っぽになってしまったという感覚に陥ったことはありませんか?

 

心にぽっかりと穴が空いたような空しい気持ちになったことはありませんか?

 

私はそんな感覚に悩まされています。

 

「心が空っぽで苦しい」と主治医や看護師に相談したのですが…

「本当に心が空っぽなら苦しいという感情は抱かないはずだ」

と言われてしまいました。

 

なったことのない人にはわからないのですかね。

 

主治医には、「きっとそれは心が空っぽなんじゃなくて、気がするだけだよ。本当は心は空っぽじゃないんだ」と言われました。

 

確かに、主治医や看護師が言いたいことはわかりますし、本当は空っぽじゃないんだろうと思います。

でも、やっぱりこの感覚は「心が空っぽ」以外の言葉で表現できません。

 

心が空っぽで苦しい というのは、あまりにも空しすぎて息苦しく感じるのです。胸が張り裂けそうというか、心が痛いというか。

 

とにかく気が狂いそうなほど苦しいのです。

 

この感覚の解決方法は分かりませんでした。

なので今週のカウンセリングの際に心理士さんに聞いてみようと思います。

 

答えが見つかるのを期待しています。

 

おやすみなさい。

治したくない気持ちとの向き合い方

こんにちは。

 

今日は、主治医の教えの一つを紹介していきたいと思います。

 

最近、一番症状が重かった時期よりも、楽になってきていることを実感していました。だから治ってきたと思い始めました。

普通なら喜ばしい事なのでしょうが、私は素直に喜ぶことが出来ませんでした。

怖い、怖いと思いました。

治ってしまったら普通の生活に戻らなければいけない。働かなければならない。生活しなければならない。

今の私にそれはまだ無理だ。だから治ってしまっては困ると思ったのです。

 

それを主治医の一人に伝えると、

「お前何勘違いしてんの?」と言われました。主治医は口が悪いのです。

 

主治医は私の状態をたとえ話でこう言いました。

 

「お前はまだ回復山という山の0合目でアキレス腱を伸ばしているだけだ。前はまだ山に到着もしていなかった。でも進歩して今から山に登ろうと準備しているところなんだ。」

 

すごく納得しました。頂上に登ろうとしているのに頂上に行くのが怖いと言っているのと一緒だと先生は言いました。

 

そして、山登りの方法は二つあるそうで、一つは頂上を目指して顔をあげながら登っていく方法。もう一つは、足元を見ながら一歩一歩登っていく方法とあるそうです。

 

私には後者が向いてるらしく。

将来のことなどあまり考えずにその日その日を一生懸命生きればいいと言われました。

 

こう先生に教わってから将来の事で不安になることが減りました。

 

この考え方は私じゃない他の方でも活かせるかもしれません。

参考にしてみてください。

 

おやすみなさい。

病気になった原因

前回のブログ記事は全削除しました。市販薬ODのことばかり書いてその行為を推奨するような感じになってしまったらいやだなと思ったので。

 

言葉にならない言葉を紡ぎたいという思いでブログをできれば毎日書いていきたいと思います。

 

まだ子供ですが、それでも思う事や自分の考えを書いていきたいです。

 

そうそう、まず病気になった原因を記しておきます。

 

大雑把に言えば、父の不倫です。

 

14歳の時に父の不倫の為、両親が離婚するという事を聞きました。

私が小さい時から父は母ではない女の人と遊んでいたそうです。母はそのことは知っていましたが、生活の為離婚はせず。

そして父と不倫相手の間に子供がいることが発覚しました。

私とその妹との年齢差は8歳でした。

子供がいた、という話は離婚の話を聞いた後の事だったので、そこまでショックは受けませんでした。

 

14歳の時に離婚するという話を聞いてからショックで泣いてばかりの生活を送っていました。その状態のまま高校受験。無事合格して、県立高校に通うことになりました。

しかし、そこでの高校生活に適応できませんでした。

怒鳴る教師に恐怖を覚え、登校拒否。

徐々に体調を崩し、不登校になりました。そして15歳の時精神科通院を始めました。

そこで最初に着いた病名は、身体表現性障害、対人恐怖症でした。

 

学校に行ったり行かなかったりの生活をしているうちに気分が落ち込むことが多くなりました。私は何てダメな人間なんだと自分を責める毎日が続きました。

こうして、病名がうつ病と変わりました。

 

そのあと入院生活を送り、病名が適応障害に変わりました。

父が不倫して家を出ていき、いなくなってしまったという生活に適応できなかったということで適応障害という病名をつけたそうです。

 

長くなりましたが以上が精神疾患を患った原因です。

 

主治医が二人いるのですが、そのうちの一人は、私の事を「精神疾患を患った人」ではないと言います。「父にあれだけひどいことをされたら、憂鬱になって死にたくなって当然だ。だから病気じゃない。」と言われました。

 

それを聞いて私は複雑な気持ちになりました。

それなら私は何なのだ。病名付けてもらった方が救われるのに、と思いました。

 

まだこのことは自分の中で解決していないので、もう一度主治医に話してみようと思います。

 

そろそろベッドに横になろうと思います。

ありがとうございました。